映画『犬ヶ島(Isle of Dogs)』感想(ネタバレあり)

スターチャンネルで、『ウェス・アンダーソン ほぼコンプリート特集』なるものをやっていたので、観てみました。
この話、チーフの”why I bite(なぜ噛むのか)”というセリフが、なかなか味わい深い逸品でした。
感想に行く前に、まずはあらすじから――

あらすじ

およそ千年前、猫好き将軍小林が犬の殲滅作戦を開始し(綱吉の逆パターンか?(笑))、犬達に同情して立ち上がった少年侍に頭を討ち取られるも、なんとか勝利。降伏した犬達は、ペット化されることで再び繁栄の道を歩み始めました。

それから千年後。
列車事故でただ一人生き残るというアンブレイカブルな体験をした少年=小林アタリは、メガ崎市長(伯父)の養子となります。彼に付けられた護衛犬スポッツは、とても忠実に任務を遂行するのですが、犬からヒトに感染するスナウト病・ドッグ病の大流行で『犬はまとめてゴミ島に捨てるべし』条例が成立。その条例の適用第一号となってしまったのでした。

しかし、実はこれらの病気は人によって作り出されたものでした。治療法も見つかっています。しかし小林市長は、これを「犬を傍に置くのは危ない」というプロパガンダとして使い、生身の犬を自社のロボット犬に置き換えようとしていたのでした。そんなわけで、血清開発グループのリーダー=渡辺教授は毒殺されることに―――

一方、小林少年(って言われること狙ってるんでしょうか?このネーミング(笑))は小型飛行機で島に乗り込み、彼を助けた犬達とともにスポッツを探します。が、なかなか見つかりません。これは狂暴な土着犬達に拉致られたのではないかとみて、最果ての地に乗り込んでみれば、なんとスポッツは土着犬達のリーダーになっていたのでした。
彼らは実は元実験動物で、虐待に耐えかねて逃げ出し、野生化したというのです。

スポッツは、小林市長が犬の殲滅を狙っている中、自分には犬達のリーダーとしての責任があるから、もう小林少年の警護犬を続けることは出来ないと言います。
チーフは元野良犬だったこともあり、小林少年には全く懐いていなかったのですが、同情心は持っています。”Do you have any idea what that little pilot just went through to try to rescue you?(お前を救うために、こいつがどんだけ苦労したのか分かってんのか!?)”と食ってかかります。しかし、スポッツの決心は変わりません。

そんな中、小林市長がついに島送りにした犬の”処分”を決めたという情報が入り、小林少年と犬達は、その命令を撤回させるため、自作の船でメガ崎市の中央に向かいます。
死んだと思われていた小林少年が突然登場したことに市民は驚き、彼のかました演説にコロっと参って、市長までもがあっさり条例撤回
犬達は、再び元の平和な生活に戻ったのでした。

犬が「なぜ噛むのか」と自問自答してしまう悲劇

この物語の影の主人公、チーフは野良犬ですが、ほんの短い間だけ人間の家に引き取られたことがあります。なぜ短い間だったかというと、そこの家の子供の手を噛んで大怪我をさせたから。
チーフはこのときのことを思い出し、”Why did I do that? To this day, I have no idea“と呟くのですが、この映画のラスト、スナウト病が治り、立派な護衛犬になった彼はまた同じ台詞を口にします。質の悪いロビイストの手を噛んだ話をした後です。

“I’m not a violent dog. I don’t know why I bite

彼は、自分の『噛む』という行為に対して「なぜ」と自分に問います。しかし、考えてみれば危険を感じた瞬間に、犬が相手を噛むのは当たり前のことです。それを「なぜ」と問わなければならないほど、野良である彼でさえ、時代の”在るべき論”に毒されている―――これは滑稽といえば滑稽なのですが、なかなか深刻な事態です。

こういう逆の発想で苦しむ例というのは結構多い気がします。
仕事や勉強をしていて眠くなるというのはいい例でしょう。その人にとって、つまんないことをつまんないやり方でこなしていたら、そりゃあ眠くなるに決まってます。そこで「もっと真面目にやらなきゃ」と気合を入れたところで能率は上がらず、罪悪感が増すばかり…。

でも、やってることに意義が見つけられないなら、何とかしてやらずに済む方法を考えるべきだし、それが無理なら、つまんなくないやり方を見つけるべきなんですよね。ホントは。
本能が拒否する行動は、どうせ長くは続かないと諦めて、対策を練るしかないんじゃないかと思います。

同情心は最強?

チーフは、子供の手を噛んだ夜、その子供の祖母が火鉢で作ったチリを振舞ってくれた話をします。人に手を出した動物は処分されるのが常ですから、おそらく「最後ぐらいは旨いものを食べさせてやりたい」という同情心からでしょう。チーフは、自分の唯一の好物がそれだと言うのです。

チーフが小林少年の投げた棒を拾い、大人しく風呂に入れられるまでになったのも、おそらくは同情心からです。縋るように大切にしていた犬と離れ離れになった彼を、可哀そうに思ったのでしょう。この辺りは、護衛犬の役を降りると言ったスポッツに食って掛かったところからも分かります。決して、「ヒトの命令に従うのが当然」と考えた結果ではないと思います。
スポッツが小林少年を支えようと決心したのも、単なる忠誠心からでないことは、小林少年の声が聞こえてきたときのスポッツの表情から分かります。

小林市長がサラッと前言を翻せたのも、『小林少年の演説で、市民が一気に「犬さん可哀そう」に傾いたのを察したから』という部分もあると思います。

結局、大きな力を発揮するのは、多数決より、強者の命令より、こうした共感力なのかもしれません。
ただし、与えられる情報がプロパガンダで歪められたり、入ってくる情報に偏りがあるとえらいことになるので、そこは要注意ですね。(それで大失敗して、にっちもさっちも行かなくなってるご近所の国もありますしね…)

微妙な表現はありますが、こういうのは表現の自由ってことで…

この話、日本人が見ると、深読みして微妙な気分になるかもしれないところが結構あります。
例えば、”Arbeit macht frei”の鋳物ゲートを連想させる『犬大歓迎』ゲートとか犬フィルターの外観とか、「クジラの致死量の10倍」という表現とか、市長が動物愛護活動を外国勢力の干渉と決めつけて排除とか…。
ただ、まあこういうところをいちいち突っ込むのは、「気にしてるからそう見えるんじゃないの?」と笑われること請け合いだし(笑)、表現の自由の観点でもよろしくないと思います。
ちょっと最近の各種メディアの「こう言ったら、○○な人からこういう突っ込み食らうかもしれないから自主規制」は目に余るものがありますからね。このままいくと、クリエーターは何も発信できなくなってしまいます。結構、危機的状態だと思います。
こういうフィクションについては、少々気になることがあったとしても、生暖かい目で見守るのが吉でしょう。(どう見ても日本マニアな監督を、こういうことでつつくのも野暮ですしね)

で、全体を振り返りますと…。
まあぶっちゃけ「うん、やっぱりこの人、グランド・ブダペストホテルが最高だったな」って感想でしたが(笑)、これはこれで味わい深く、いろいろ考えさせられる映画でした。
病気の治療法を見つけたときの一本締めにも笑いました(笑)