前回は、ロシア革命がらみのネタを集めてみたつもりでしたが、この人を忘れていました(笑)
ラスプーチン暗殺実行犯の一人(少なくとも自分ではそう言ってる)フェリックス・ユスポフさんです。
革命に直接関わったわけじゃないんですが、二月革命前夜に大事件を起こして(または「起こさせられて」?)くれました。
ユスポフ宮殿(モイカ宮)
できれば、ラスプーチンが最初に撃たれた(とされている)場所も見たかったんですが、チケット売り場のおばちゃんに訊いたらオーディオガイド申し込めとか言うし、オーディオガイドのルート図見たら載ってないしで、普通に豪華なお部屋の数々を見てきました。
なお、事件現場については、こんな感じらしいです。
ちなみに、オーディオガイドは、借りるとき1000ルーブル取られまして、「なにそれ高い」と思ってたら、1000ルーブル札に番号付きのシール貼られて、機材返すとその紙幣がそのまま返ってくるシステムでした。ちなみに言語はロシア語と英語。貸出場所は地下にあります。
さて、「ロマノフ家より金持ちだった」という噂もあるユスポフさんちですが、いやー、やっぱり金持ちは考えることが違うわ。だってね、家ん中に劇場とかあるんですよ(笑)
マジかよ…って顔で見上げてるツアー客の方々の表情が印象的ですね。
※以下の写真は全て、クリックすると大きなサイズで表示されます。
Theatre
流行りとなれば、こんな部屋↓も作っちゃいます。ものすごく”なんちゃって”臭漂う部屋ですが、まあヨーロッパから見た”オリエンタル”ってこんな感じ?(っていうかロシアは、ヨーロッパからはヨーロッパ扱いされてないけどな!(笑))
Moresque Drawing Room
余談:ラスプーチン暗殺の真相(?)
定説ではフェリックスさんとプリシュケービチ(政治家)さんがラスプーチンを暗殺したことになっていますが、ナショジオさん(『MYSTERY FILES』)が言うには、「ラスプーチンにトドメ刺したのはイギリス情報部員」ってことらしいです。理由は下記。
- ラスプーチンの検死報告書に遺体の写真があり、そこに写っている額の傷(致命傷)の煤と火薬の付着具合から、至近距離から撃たれたことは確実。これは、ユスポフとプリシュケービチの証言と食い違う(証言では、庭に逃げたラスプーチンの後頭部を遠方から撃ったことになっている)。
- 額の傷は、プリシュケービチが所持していたサベージ社32口径で撃った傷にしては大すぎる。ウェブリー・リボルバー(455ウェブリー弾)で撃たれた傷によく似ている。この銃は1887年頃からイギリス軍で採用され、当時、多くの英国軍人が所持していた。
- ドミトリー・パヴロヴィチ大公(ニコライ二世の従弟)の大口径銃で撃ったという説もあるが、ユスポフとプリシュケービチの証言では、彼は事件前に屋敷を出ている。
- 元イギリス情報部員のオズワルド・レイナーが晩年、事件当時、ユスポフの屋敷にいたことを家族に告白。彼はユスポフと同時期にオックスフォード大に在籍している。また、ラスプーチン遺体発見直後、ユスポフの同僚と情報局長が、こんな文書を交わしている↓
Although matters here have not proceeded entirely to plan, our objective has clearly been achived. Reaction to demise of ‘Dark Frorces’ has been well received by all, although a few awkward questions have already been asked about wider involvement.
Rayner is attending to loose ends and will no doubt brief you on your retuen.
ここに書かれている‘Dark Frorces’はラスプーチンのコードネームです。
当時、イギリスはロシアと組んでドイツと戦ってた(第一次世界大戦)わけで、ドイツとの和平を強く皇帝(ニコライ二世)に迫っていたラスプーチンが邪魔だったってことですね。
ラスプーチンが皇后(アレクサンドラ)をいいように操り、皇帝が皇后の言いなりになるのを良く思わないロシア貴族を唆して排除するというのは、実際、理に適っています。直接手を下したかどうかはともかく、「裏で繋がってた」っていうのは、まあそうなんでしょう。(なにしろイギリスさんだし(笑))
なお、1980年代にモスフィルムが作った映画『агония』(邦題『ロマノフ王朝の最期』)では、検死報告書の存在を知ってか「たまたまか」は知りませんが、割と近くから額をぶち抜いたことになってました。勿論、英国情報部員は参加してませんが(笑)
で、話は戻ってユスポフさんです。
ユスポフさんについては、いろいろと武勇伝(?)があります。
中坊の頃、制服じゃキャバレーに入れなかったので、女装して入って、それ以来、女装が癖になったとか(ちなみに、発案は兄の彼女(笑))、
その恰好で劇場うろうろしてて、エドワード七世(イギリス国王)に色目使われて喜んでたとか(←じーさん何やってんの?(笑))、
家宝の宝石着けてキャバレーで歌ってて、それをママの友達に見つかって通報されたとか、
近衛士官にほいほい付いてったら襲われそうになって、瓶でぶん殴って逃げたとか、
ドミトリー大公が仲良過ぎで、皇后(←ユスポフを嫌ってる)に「もう会っちゃダメ」と言い渡されて、それでも会ってたとか…。(一説には”そういう関係”だったとか(笑))
※出典は、ハリソン・E・ソールズベリーさんの『黒い夜 白い雪』
なお、美人の嫁(皇帝の姪イリーナ)とは仲良かったし、本人も女性は嫌いじゃないと言ってたようなので、ガチな人ではない模様(笑)
そしてこの嫁を、かつてドミトリー大公と取り合ったという、もう訳わかんない関係(笑)
そして、そのドミトリー大公はといえば、皇帝夫妻にめちゃくちゃ可愛がられながら、皇后が嫌ってたユスポフとなんだかんだ言って付き合い続け、ラスプーチン暗殺にも噛んでたらしいという…。
そして、ユスポフのかーちゃんは大のラスプーチン&皇后嫌いで、暗号名まで使って「あの生臭坊主を何とかしなきゃ」と息子に相談ぶってたという…。
このかーちゃんがクーデター計画のシナリオ書いて、ユスポフがドミトリー引っ張り込もうとしてたとかだったら面白いんですが、まあ、そんなマンガみたいなことは絶対ない(笑)
とりあえずこの時代の話は「後で本人が言いっぱなし」というものが多く、どれも嘘くさいんで、いろいろ想像の余地があって面白いです。
ちなみに、先日BS2で宝塚の『神々の土地 ~ロマノフたちの黄昏~』やってましたが、アレはいくらなんでも捏造しすぎです(笑)(「え?イリーナって一緒に亡命したよね? しかも、じーさんばーさんになるまで一緒にいたよね?」という)
というわけで、ユスポフ邸語り(というか、ほぼラスプーチン暗殺事件語り)は以上です。
ついでに、他の部屋の写真も張っておきます。
Gobelin Drawing Room
Green Drawing Room
Blue Drawing Room
Oak Drawing Room
おまけ:モイカ川
まったくの余談ですが、フェリックスさんかそのお父さんらしき人の肖像画(ヴァレンティン・セローフ画。ここんち、同名続きなんで、もう誰が誰だか…)がロシア美術館にあったので、ついでに貼っときます。
ユスポフ家はタタール系らしいんですが、もはやモンゴル/テュルク系の匂いは皆無ですね。
ストロガノフ宮殿
もう一つ、ついでにお貴族様の邸宅。
それにしても、お貴族様の館はどれもこれもロシア的な匂いがしませんね。
まあ、「サンクト・ペテルブルク自体が、ヨーロッパかぶれの大帝が作った街じゃん」と言ってしまえばそれまでなんですが(笑)
次回は、無駄に豪華な地下鉄について(笑)