映画『ヴィクター・フランケンシュタイン』ネタバレあり感想

先日、スターチャンネルで『ヴィクター・フランケンシュタイン』を観たのですが、これが予想外に面白かった。(←失礼な)
何が良かったって、マッドサイエンティストのフランケンシュタインよりも、信心深いターピン警部補の方が狂人じみてるという、”常識への挑戦”(笑)
そして、チャレンジングスピリットも名誉欲も信仰心も等しく、自分のやりきれない思いを宥める手段に過ぎないと言わんばかりのあの描き方。
とどめは、あの懐中時計のファンタジックな”じんわり感”ですね。

大まかなストーリーはといいますと、ろくすっぽ大学にも行かずヤバい実験ばかりしている医学生ヴィクター(ちなみに父親は医学会の権威で、息子をゴミクズ扱い)が、サーカス小屋でブランコ乗りの落下事故に遭遇して、そこで、なんか腕利きっぽいピエロ(イゴール)を見つけ、「こいつは使える!」と強奪して、二人で一緒に人造ペットなんか作って、イングランドで三番目の金持ち坊ちゃんの支援までゲットするんだけど、「なんかこの人ヤバい」と気づいたイゴールに止められ…そこなって、ついに人間まで造っちゃって、最後に「やっぱちげーわ、これ」となる話。――――と書くと、めっちゃアホらしい話に聞こえますが、アホらしいのは粗筋だけです(←いや、それも問題では…?(笑))

この映画見て「無理」と思った人は、おそらく、あの舞台装置の仰々しさや、人造人間の安っぽさ、そして、ストーリーテラー(イゴール)のちょっと理解しがたい倫理観などに負けてしまったのではないかと思いますが、周りのキャラに目をやれば、そこには、なかなか濃ゆい世界が広がっています。

まず、ヴィクター(ジェームズ・マカヴォイ)ですが、はっきり言って彼はマッドでもなんでもありません。価値観が多少世間とずれてる”生きにくさ”と、過去にやらかした取り返しのつかないこと(自分のやんちゃが元で、結果的に兄を殺してしまった)が重なれば、まあ、大抵の人間はああなるでしょう。ものごっつ感情移入しやすいキャラです。

一番の悪役ポジな金持ち坊ちゃん=フィネガン(フレディ・フォックス)ですら、最後の「否定ばかりする奴らも、偽善者も地獄に堕ちろ!!」で、うっかり、ただのサイコパスじゃなかったことがバレてしまいます。可愛いですね。

この二人に比べて感情移入はしにくいのですが、強烈だったのはモリアーティ…じゃなかったターピン警部補(アンドリュー・スコット)
彼にとって、命を作り出す行為は神への冒涜であり、令状なしの家宅捜索+器物破損(勿論いずれも違法行為)をしてでも止めねばならない悪魔の所業なわけですが、彼の台詞を聞いていると、どうもこれ、”妻を救えなかったこと”に対する代償行動じゃないかって気がしてくるんですよね。
もしかしたら、仕事に熱中するあまり、体の不調訴える妻の話をあまり真面目に聞いていなかったのかもしれません。
妻の(おそらくはひどく苦しんだ末の)死は、人知を超えた神の采配によるものであり、自分が何をしようが変えようのない宿命であり、今、妻は天国で幸せに暮らしている。そんな”物語”を打ち壊すヴィクターのような存在は、絶対に許せない――――そんなところでしょうか。
同じ腫瘍でも妻は悪性、”背むし男”は良性で、なぜか神とは最も遠いところにいるヴィクターが救ったという矛盾にも苛立っていたのかもしれません。

こういう自称”モラル高い系”というのは、”常識”の後押しがあるだけに厄介です。反省する機会に恵まれず、それが何を覆い隠すための狂信なのかになかなか気づけない。
(ちなみに、最近ではポリティカル・コレクトネスの信奉者にこのパターンが多いように思うのは気のせいでしょうか?)

そして、こういう濃い人たちに囲まれて、微妙に浮いてるのがイゴール(ダニエル・ラドクリフ)と、その彼女ローレライです。
彼らはおそらく、他人に悪魔と罵られたこともなければ、人を徹底的に傷つけた経験もありません。彼らの不幸は純粋に環境に依存するものであって、当人には何の罪もない。酒を飲みながら「昔こんなことがあった」と話せば、誰もが同情してくれるような過去です。
だからでしょうか。彼らがヴィクターに向ける言葉は、どれもこれも微妙にピント外れです。

それは自然の秩序への挑戦だ。怖いとは思わないのか? 君は”good man”なのだから、そんなことはすべきではない。それをすれば、君はもっともっともっと苦しむことなる――――いや、それってさぁ…例えそれをしなくても既にどん底に居る人間に言って通じると思う?
ていうか、あなたの言う”good man”の定義って何?
そもそも、命を作り出すことのどこがいけない?
聖書や誰か他の人の言葉じゃなくて、自分自身の言葉でその理由を説明できる?
そう訊きたくなってしまうわけですよ。

ぶっちゃけ、あれが純粋な好奇心から出たものであれば、殆ど問題はないと思うのです。(まあ、遺体損壊は普通に犯罪ですが…)
誰かが何か思いついた時には、だいたい同じ時期に他の誰かも思いつくもので、数人が世の倫理観に従って自粛したところでそれは”いずれ起こること”。先駆者の圧倒的な優位はごく短いもので、それが真に人に害を及ぼすものなら、禁止する法律ができるかまたは、相手にそれを使わせない仕組みができてくる。科学者自身が先回りして自粛するようなことじゃない。
彼の過ちは、決して”皆が眉を顰めるようなことした”ことではなく、彼が欲するものと取っている手段に乖離があること、そしてそれに薄々気づきながら、代替手段がないという現実に耐えられず、目を逸らし続けてきたことだと思うのです。

でもイゴールは、そこに気付かせるようには決して動かない。
ヴィクターは、イゴールを助けたことに対して「同情じゃない」と力説していましたが、どう見てもあれは”同病相哀れむ”ってヤツで、そんな彼に、すっかり紳士になっちゃったイゴールは、無自覚の上から目線で説教するわけですよ。
マカヴォイ氏の「ラブストーリー」発言(←この人、相変わらずだな(笑))で、アスペとコミュ障による、距離感ちょっとおかしい友情的なものを期待していた人には、完全に肩すかしだったでしょう。

結局ヴィクターは、とことんまで突っ走って自力で間違いに気づき、自分がこの世に与えた”マイナス分”を取り戻す方法は他にもあったのだと納得して次に進むことになります。
ああ、『自力で』というのは正しくありませんね。半分はあの懐中時計さんのおかげです。

ローレライが一命をとりとめ、イゴールが生まれ変わったのは、紛れもなくヴィクターの力によるものであり、その機会を与えたのはあの時計でした。
その後も、あの時計は執拗なまでにヴィクターを導こうとしています。
なんというか、時空を超えた兄の情みたいなものを感じて、ちょっと泣けましたね。

そんなこんなで、沈黙する神は信心深いターピン警部補を救わず、その対極にいるフィネガンは自滅しましたが、自分の幻想を打ち砕くことのできたヴィクターは新たな修行の旅に出て、イゴールは彼女とラブラブで再出発という結末でした。
イゴールが、ヴィクターの「my greatest creation」という言葉の意味を理解出来たとは思えません。それでも、イゴールに対して成した行為によってヴィクターが救われたのは事実だと思います。
他人に理解されることを望むより、まず動くこと、その結果を素直に受け止めて自分の頭で評価すること、そして自分を変えることが、落ちた穴から抜け出す最速の道だということでしょうか。

とりあえず、興行成績見て、「どうせつまんないんでしょ?」とスルーするには勿体ない作品です。
WOWWOWとスターチャンネルで、この先も放送予定がありますので(←マカヴォイ氏の『Split』Box Office三週連続一位が効いたのか?(笑))、興味を持たれましたらチェックしてみてください。

WOWWOW
http://www.wowow.co.jp/detail/109308/-/01
スターチャンネル
http://www.star-ch.jp/channel/detail.php?movie_id=25383