『X-Men: First Class』で「アメコミも悪くないんじゃないの?」と思い、ぼちぼち観始めてから、なんか連戦連敗してるんですが……うーん、やっぱり今回も負けました(笑)
もうストーリーはいろいろなサイト様で語りつくされているんじゃないかと思いますので、いきなり感想から行きます。
作品自体が持つメッセージね、すごく良いと思うんですよ。
――真に民主的な社会は、人々が恐れ、縋る、絶対的な存在の”死”によってしか作り出せない。
――善もそれを成す力も、痛みと汚辱の闇からしか生まれない。
映像を使った説明もスバラシイ。
オープニングで二つの時間をオーバーラップさせながら「なぜそうなったか」を見せるところや、
闇の中で美しく光るパールが飛び散るシーン、
光へ向かい、黒い翼に囲まれて上昇する姿、
屋根の上で、スーパーマンに向かって手を伸ばす洪水被害者の恍惚とした表情、
まるっきり宗教画みたいなスーパーマンと群衆の姿、等々――――
ラストとオープニングが『地の底からの再生』で繋がってるのもカッコイイ。
なのですが、うーん……とにかく脚本が謎過ぎるんですよね。
アメリカ人って、本当にこのキャラたちの言動理解できんの?と思いましたよ。
単に危険のタネを排除するっていうだけなら、バットマンはあんなふうにスーパーマンいたぶってないでさっさと殺せばいいわけで、なんか個人的な恨みがあるとしか思えない。
でも、戦えば巻き添えを食う人が出てくるのは避けようのないことで、「なんで君たちそこまでスーパーマンに”全能の神”を期待してんの?」って思うんですけど。
スーパーマンも、親を助けたきゃ、ルーサーふん捕まえては吐かせりゃいいんですよ。頭脳労働者は痛みには慣れてませんから一発です。
バットマンが、秘密兵器の槍を投げ捨てちゃうのも「ちょっと待てよ」と思うし、「マーサ」って名前聞いただけで仲間になっちゃう気持ちも分からない。
勿論、助けること自体は全く不自然じゃありません。親の時には見ていることしかできなかった子供が、今度は自分の力で助けられるわけですからね。でも、スーパーマンといきなりあそこまで慣れ合うのは、やっぱり意味不明。
レックス・ルーサーも、意味深なことを言ってくれる割には、「あんた、自分が言ってることの意味、ホントは分かってないんじゃないの?」と思われるフシあり。なんか親に否定されまくって育ったADHDの子供が、今になって間接的に親に復讐してるようにしか見えないんですよね。
ただ、ジェシー・アイゼンバーグのキレっぷりは最高でした(笑) もっと複雑な過去背負わせて、面白いキャラにすればよかったのに…。
といろいろ書いてきましたが、この映画を見て、強烈に「いいな」と思ってしまったコトはあります。
それは、911やISを思わせる映像を盛り込んだエンターテインメント作品を「不謹慎だ」と言って潰さないアメリカの”自由”です。
「こんなこと言って文句言われると面倒だから自主規制」が横行している日本では、報道機関ですらその流れですからね。
我々はもっと、クレイジーだと言われてる(あくまで”言われてる”)人達を応援してもいいんじゃないでしょうか。
【放映予定】
WOWWOW
http://www.wowow.co.jp/detail/109644
スターチャンネル
http://www.star-ch.jp/channel/detail.php?movie_id=25453