今回ご紹介するのは、血の上の救世主教会(Храм Спаса на Крови)。
修復中で、ちょっと情けない格好になっていたため、一枚目の写真(上)は以前撮ったものにしました。
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農奴解放と不倫(笑)で知られたアレクサンドル二世の暗殺現場に建てられた教会です。
運河沿いの道にぴょこんと飛び出した不自然な立地は、そういう事情。
1883年から24年かけて建設されたものですが、とても百年そこそこ前に建てられたとは思えない古風なイメージです。「割と最近、中世マニアの王様が鉄筋コンクリートで作りました」なノイシュバンシュタイン城的ノリ?(笑)
「それを見る者たちの心に、皇帝アレクサンドル二世の殉教の魂を思い出させ、献身的な忠君愛国の感情とロシア国民の深い悲嘆を呼び起こす(アレクサンドル三世談)」が目的だったらしいので、ああいうロシア的なデザインにしたんでしょうか。
最寄り地下鉄駅は、ネフスキー・プラスピェクト(Невский проспект)。繁華街のど真ん中です。
駅を出ると目の前にあるこの建物は、なかなかスゴイ外観ですが、現在の中身はドーム・クニーギ(Дом книги)。本屋さんです。
ネフスキー大通りを挟んで向かいにあるのがカザン聖堂。
こちらは割と本気な聖堂なので、中は撮影禁止です。中国人が写真撮ってて、めっちゃ白い目で見られてたので気を付けましょう。出来れば女性は、プラトーク(スカーフ)も被っていた方が良いかと―――。
このカザン聖堂を左後ろにして立ち、運河沿いに北上すると、運河の右手にこんな出っ張りが見えてきます。これが血の上の救世主教会。
運河沿いには、観光地らしく、こんな店が並んでいます。
正面に回るとこんな感じ。
チケット売り場はコチラです。入り口に並んでいると、ニーハオとか声をかけられますが、適当に躱しましょう(笑)
入り口を入ったところ。
色合い的にはラヴェンナのガッラ・プラキディア廟堂っぽくなくもないですが、テイストが全然違う。ウラルから西を『ヨーロッパ・ロシア』と言うようですが、まあぶっちゃけ、ロシアってやっぱりヨーロッパ文化圏じゃないよねという…(笑)(タタールのくびきとか、それ以前の問題として)
柱や天井に描かれた絵は、なんとなくフレスコ画っぽく見えますが、基本的にモザイク画です。
イコノスタシス(神品の置かれた至聖所と人々が祈りを捧げる聖所を隔てるイコン付きの壁)はこんな感じ。
こちらはアレクサンドル・ネフスキーさん。前回お話したのでどんな方だったかは割愛。
出口です。
最後に、白夜の頃撮った写真を―――。
さて、ここで暗殺されたアレクサンドルさん絡みのお話を少し―――。
ロマノフ朝のツァーリに、アレクサンドルさんは三人います。
最初のアレクサンドルさんはエカテリーナの孫で、ナポレオンに負けたり勝ったりした人。晩年、スピリチュアル(という言葉は当然のことながら当時はない(笑))にハマって政治を臣下に丸投げした上、後継者も作らずに旅先で亡くなるという皇帝としてはあるまじき最期でした。
三番目は、レーニンの兄ちゃん(↓)に暗殺されかけた(ってとこまで行ってないけど)アレクサンドル三世さん。
※兄ちゃんが収監されてた監獄の話はコチラ
狙った方も狙われた方もアレクサンドルさん。紛らわしいですね(笑)。(ロシアには、名前のバリエーションはあんまりないようです。プーチンも父称『ヴラジーミロヴィッチ』だから、父ちゃんも『ヴラジーミル』(笑))
狙われた方は、最後のツァーリ、ニコライ二世のお父さんです。
で、二番目が、ここで暗殺されたアレクサンドルさんです。クリミア戦争でボロ負け中という難しい時期にロシアを率いることになった不運な方。
この方、「女学生と不倫」という、人としてはちょっとアレなところもありますが、農奴解放を実現させた改革派のツァーリとして知られています。
他にも、地方自治の刷新、陪審員制導入、軍管区制導入、鉄道網の整備など、結構いろんなことをやってます。
当然のことながら、既得権持った方々には抵抗され、民衆は民衆で「全然世の中良くなんないじゃん」と怒り―――。(まあ、あの『農奴解放』は、ぶっちゃけ払う金の名目と支払い先が変わっただけですから、怒るのも解ります)
そして、そのどちらでもない「農民も労働者もアテにはならん。俺らが力で世直しすんぜ」なテロ集団(っていうと絶対怒られる…)「人民の意志(Народная воля)」によってついに暗殺されてしまったのでした。
ちなみにこれは、1879年4月から数えて実に6度目の正直でした。
一方では勿論、評価する人達もいます。
ドストエフスキーのユダヤ人叩きとして有名な(?)『作家の日記』の一節↓。ここでも結構アレクサンドルさんは持ち上げられてます。
「わが尊き解放者(アレクサンドルニ世)が現れて、土着民に自由を与えたとき、まず第一番によき獲物とばかりに彼らに飛びかかったのは、そもそもだれであったのか」
「遠い祖先以来の金貸の業で、彼らを十重二十重にからめたのはだれであったのか」(米川正夫訳『ドストエフスキー全集』15)
この「だれ」と言われた方々、なんとなくソ連崩壊時のドサクサで国の富を山分けしてしまったオリガルヒを彷彿とさせますね。(この辺りの話は、ホテル・ムンバイの感想でがっつり書いたので詳細は割愛)
単純に「自力で得た知恵を使って」ならまだアリだと思いますが、「遠い祖先以来の」っていうのは問題。
金、地位、人脈、富める者・権力者どうしの情報ネットワーク―――これらは全て他人を支配する力であり、新しいものを生み出す力です。それを、血縁・姻戚といった関係だけで、善いビジョンも能力もない者に与えてしまうのは、国や世界レベルで見れば大きな損失。生産性を上げたり、画期的な何かを生み出したりするためには、ポテンシャルを持つ人に、その力を発揮できる手段が与えらえるというのが一番良いわけです。
「仕事がありゃやるよ」的受け身な人々についても、ヤル気の出る環境にした方が、当然生産性は上がる。
じゃあ旧態依然とした体制は変えなきゃって話になるわけですが、世襲の啓蒙君主というハンパな存在は、宿命的に役者不足。
ドストエフスキーがそこまで持ち上げるのは、ぶっちゃけどうなの?って感じですが、国益のためにあえて危険を冒し、その施策が方向性としてはだいたい合っていたという点については十分尊敬に値すると思います。たとえ、老いらくの恋(不倫)にハマっても(笑)
というわけで、本日はこれにて。
次回は血の上の救世主教会に行ったら、是非寄っていただきたい『ロシア美術館』です。