※二行目から既にネタバレとなっております。未鑑賞の方はくれぐれもご注意ください。
映画「Under Parallel Skies」、昨日有楽町にて一回目観てまいりました。
公式さんがおっしゃる「国境を越えたロマンス」ってなんかイメージ違くね?という疑問はありつつも、これだけ長文書いちゃうぐらいには見応えある映画でした。
内容は、サクッと三行で言えば「『お互いにとって最高のものを与えあう一瞬』ほとスバラシイものはないし、その一瞬は失くしたつもりでも全然なくなってないってことを、二人が本当に実感するまで」の話?
こう書くと、「自己肯定感ズタズタになっても、『やりきる』ことで得られるモンもあるんじゃね?」というツッコミ入れたくなりますが、人間やっぱりそれだけじゃもたないってことでしょう。最低最悪の状態では、”美しい記憶”が持つ力っていうのは、バカにならない。それさえあれば、自分を粗末にしすぎることもないし、「一度あったことはもう一度ある」的希望も持てますしね。
ちなみに、作中でパリン(メータウィン・オーパッイアムカジョーン)さんが、”BFF”だの”HF”だの”PF”だのいろいろ言ってましたが、これは単なる振られたときの保険だとか照れ隠しじゃなくて、「どの言葉でも何か足りない」と感じたからかもしれません。アイリス(ジャネラ・サルバドール)に、「BFFじゃなくてBFが良い」と言われて、「foreverが付かないんだから、BFFより低レベル」と勘違いするポンコツっぷりには笑いましたが────。
と、前置きはこれくらいにして、以下、がっつり語ります。
ちなみに、インタビュー等の情報は何もチェックしておりませんので、深読み部分についてはおそらく誤解ありまくりです。また、一度しか見ていませんので、台詞もあんまりアテになりません。これらの点につきましてはご容赦を。
お坊ちゃまは、グダグダな姿に呆れながら介抱してくれる人に懐くらしい
失踪した母を探して、香港に来たタイ人青年プリパリン(←すみません、多分名前間違ってます)さん。────と、ここまで書くと母思いの好青年っぽいメージですが、「失踪は先月」「気づいたのは3日前」「最近自分の会社が潰れた」と聞くとなかなかクズ(笑)
いや、だってこれって、失敗して凹んで、ついでにヒマになったところで、慰めてくれそうな母がいないことに気づいて、探しに来たってことですよね?
まあでも、フライトアテンダントさんに対する暴君ぶり見てると、父親も「俺の気持ちを察して動けないお前はゴミ」ってタイプのようですし、自らを”使える奴”だと証明することに汲々として、本当に余裕なかったのかもしれません。
さて、香港到着初日から酔い潰れてホテルに乱入したパリンさん。対応をする羽目になったのが、同僚の代わりに夜勤に入っていたアイリスさんでした。
彼女に対し、最初はセレブの感じ悪さ全開で接していたパリンさんですが、何度泥酔して帰ってきても「しょうがねーな」って顔で世話焼いてくれて、ついでになんかいろいろ蘊蓄垂れてくれるところが気に入ったらしく、彼女が帰ろうとすると「一緒に食べれば?」と誘うわ、通り一遍の口上を述べると「ロボットみたいだ」と文句垂れるわで、最後には街の案内役にご指名。────だけでは飽き足らず、母探しの道連れにまでご指名。
まあ今まではダメダメな姿なんて誰にも見せられない生活してたんでしょうから、分かる気はしますけどね。
家出人の書置きのテンプレ「探さないで」って、見せられた人は迷うよね?
ちなみにこの母、「探さないで」という書置きを残して消えていまして────まあこれ見たら探しますよね、普通(笑)。「私のことを少しでも思ってるなら探してくれる筈」なのか、「いやー、マジもう勘弁、縁切ってスッキリしたいわ」なのか分かんないですからね。
でも、その話を聞いたアイリスさんはすぐに、「探されたくないのかも」と返します。この辺、ちょっと闇深な感じです。
そして香港郊外の漁村であっさり見つかった母(早すぎだろ(笑))。
なんと彼女は、結婚前に付き合ってた元カレのところにいました。
この元カレというのが、たった二年の彼女との思い出を胸に、”浸れる曲”をセレクトしてカセットテープに入れ、ずっと聞きまくってきたというある意味コワイ人。
「身分違いで、彼女の親に反対されて別れた」という経緯から見て、まあ引きずる要素は満載なわけですが、それにしてもこれって────。仮に彼女が戻ってこなくても、十分幸せだったんじゃないかとすら思えます。(あ、コレそういう映画だった)
で、結論として、母の「探さないで」は文字通りの意味でした。「もう必要もないのに、義務として探す必要はない」「この人になら、自分は役に立てる」「探して事実を暴いて醜聞とするより、行方不明のままの方が良い」ってことでしょう。
パリンさんとしては無駄足踏んだわけですが、これが無駄足じゃなかった、というのがこの映画です。
カセットテープと、アイリスさんが家に帰れない理由
元カレのオジサン(いやもう、見た目ホントに普通のオジサンなんです)が件のカセットテープを彼女に渡したのは、まあ誰が見たって、「このまま行けば、この子は私と同じ道を辿ることになる」と思ったからでしょう。ちなみにこのオジサン、つらいかもしれないど、それも悪くないよと言ってるようにも見えます。
でも、渡されたアイリスさんはといえば、この頃はまだパリンさんにそこまでハマっていないというか、ハマっていないと自分に言い聞かせてる時期で、それにしては、受け取ったときの反応が過剰。これには、別の理由があったんじゃないかと思えてなりません。
アイリスさんはパリンさんに、家族とは断絶状態だと話しています。そして、「良い瞬間は夢のようにすぐ消えてしまう」という趣旨の発言を何度もしています。距離を詰めてくるパリンさんにに対し「ただの知り合い」と言い張り、ホテルの上司からは「もう若くないんだから」と言われています。
ここからは想像になりますが────というか完全なる妄想となりますが、アイリスさんにとって、”経済的バックグラウンドが釣り合わない伴侶”は“初めてではなかった”んじゃないかと。
お相手は、「初めて香港に来た時、真っ先に行った」ディズニーランドで隣に立ち、笑っていた人かもしれません。(いや、意外とバイトの苦学生だったり?)
でも、その人は今は傍に居ないわけで、そうなると、捨てられたか、身を引かれたか、体壊されて先立たれたか────。
もし彼と一緒になることが家族を捨ててまで選んだ道だとしたら、絶対に後悔は出来ないわけです。あれは意味のあることで、今もそれに助けられているんだと思うしかない。
実際、彼女の明るさとポジティブさは少々芝居がかっていて、自分はそういう人間なんだと自分に言い聞かせているようにも見えます。
でも、心の底の方には、熱を出したときについパリンさんに「ここにいて」と漏らした弱さがあるように思えます。
パリンさんの名をわざと”ブニパリン”と呼び間違えていた(ブニ=ringworm=輪癬,タムシ、パリン=still,always)アイリスさんですが、輪っかの中に嵌って動けなくなっていたのは、実は彼女の方だったのかもしれません。
お坊ちゃまの無謀な提案は、なぜダメ出しされなかったのか
幸せそうな母を見ていろいろ考えてしまったパリンさん。アイリスさんがここ(大澳)に店を持ちたがっているのを知り、「ここで二人で店をやらないか」と言い出します。
いや、ちょっと待てよ。って思いますよね?
キミのお母さん、君を育て上げた後だから、元カレんとこ行けたんだと思わない?
アイリスさんの部屋見て、「こんな狭いところに住んでるなんて信じられない」って言い放ったキミだよ?
そういう階層の人にだけ必要なスキルばっかり身に着けてきたキミだよ?
強行したら自分の存在意義に悩んでメンヘラ間違いなしだし、逆に途中で撤退したら罪悪感でやられちゃうよ?
いくらお坊ちゃんが怖いもの知らずったって、限度あるでしょ?
っていうか、怖い目に遇っても最後は金が助けてくれるって心理的余裕、最強すぎてムカつくんですけどー。
と、まあツッコミみどころ満載だったわけですが、アイリスさんは迷った末にオッケーを出します。
え?いいの?
アイリスさん、意外と常識派ですよね?
格言や蘊蓄は、元彼からの受け売りか、単なる親の詰め込み教育のせいかもしれないですけど、蚕の蛹になかなか手ぇ出さないとか、基本、慎重派じゃないですか。
と思いましたが、結果はオッケー。このオッケーが意外と闇深でした。
このとき、彼女にはかなり深刻な自覚症状がありました。「一刻も早く精密検査を受けるべき」という状況です。
でも彼女は結局、精密検査よりパリンさんと店を開くことを優先しました。結果として手遅れに────。
本人が自覚していたかどうかは分かりません。でも本当のところ、彼女には、一生彼を幸せにする自信なんてなかったんじゃないでしょうか。だから無意識に、パリンさんが立ち直ろうとしている”今”、この一瞬の糧になって去ることを選んだ────そんな気がしてなりません。
決して諦めなかった?
ではなぜアイリスさんは検査を受ける気になったのかですが、これには色々な理由があると思います。
パリンさんと出会ったことで『自分が何の役にも立たないまま死ぬ』ことへの恐怖が消えたとか、パリンさんを残して死ぬことが、どれだけパリンさんのダメージになるかに気づいたとか。
でも、先はないとはっきり突きつけられて、彼女は『思い出を作る』ことに専念しようとします。そして、いよいよとなったところで彼の前から姿を消します。
実際、パリンさんが家族と軋轢を生まず、自身も傷つかない形で彼女を看取ることは難しかったと思います。彼が素直に「 I miss her」と言えたのは、結果的に彼が『去る側』にならなかったからで、それは彼女の選択のおかげかもしれない。
でも、彼女が最後まで彼の傍に居られなかった理由は、やはり彼女がパリンさんに看取られるほど強くはなかったからではないかと思います。
後にアイリスさんの妹が、「彼女は決して諦めようとしなかった」と言っていましたが、これはアイリスさんがパリンさんに覚えていて欲しかった彼女の姿です。
でも、パリンさんは「失敗したらやり直せばいい」と豪語する彼女にだけ勇気づけられたわけではなく、「ここにいて」と呟く彼女を見て生きる力を得たわけですから、ある意味すれ違いですね。
それでも、「そこまで誰かに必要とされていたんだ」と実感することは、この先を生きていく力になります。まあ、出来れば彼女が買った鳥が死ぬ前に、知って欲しかったとは思いますけど、全てを失ったからこそ、思い出の真の価値が分かるってこともありますしね。
「昼と夜は23時間あるけど、夜明けと夕暮れはたった30分しかない。でも、一日の中で一番綺麗な時だよね」
「長い人生の中では、ほんの一瞬かもしれない。でもそのほんの一瞬で、人生の本当の意味に気づかされることもあるんじゃないのかな」
誰かの言葉を、一語一句違えないほど強烈に覚えている人は、そうはいないと思います。
その『そうはいない』人になれたとすれば、もうそれだけで十分素晴らしい人生を生きたと言えるんじゃないでしょうか。
メータウィン・オーパッイアムカジョーンとかいう生き物について
ここからは軽い雑談です。(←今までのアレが雑談ではなかったとでも?)
いやー、なんですかね。この人撮る監督さんってみんな、この人の泣き顔撮らないと死ぬ病気に罹ってるんですかね?
いや、まあ、気持ちは分かりますけど。
でも、鳥が死んだときのアレは正直きつすぎて、あのシーンのおかげで二回目見られる自信ありません。
「同じシーンが二度出てきたら別の意味」っていう2gether戦法を十分味わうには、複数回観た方が良いのは分かってるんですが────。
そんなわけで、興行収入アップのために、ちょっとは手加減してください。いや、してほしくないけど(どっちだよ)
シリアスドラマ方面にばかり需要が増えると、派手に崩したコメディやってくれなくなりそうで、それもちょっと心配。古い話ですが自分、「プロジェクターに指挟まれたフリ」な動画がツボだったりするので。
あ、ちなみにこの映画、普通に楽しめるシーンも勿論あります。
「これからは”パリン”って呼んでいい」(←偉そう)
「それって、親しくなったからニックネーム呼んでいいってこと?」(←楽しそう)
「もちろん(笑顔からいきなり真顔になって)違う。君が僕の名前をちゃんと言えないからだ」
という「勘違いしないでよね!」風ツンデレWinさん見て、脳内でバッタリ倒れたファンも多い筈(笑)
でも、クッソつまんない上に明らかに照れてるロボットの真似(ちなみに、彼がやるとなぜか許せる)見て、それってどうなんだ?とも思いました。
立派なコメディ役者になるには、ぜひとも「つまらぬものを斬ってしまった」が真顔で言える人になって欲しいです。いや、本人コメディ役者になるなんて一言も言ってないですけど(笑)